らくらくカウンセリングオフィスは、認知行動療法から分析心理学まで、幅広い知識と技術でカウンセリングを行っています。
当社役員の脇田です。
「モデル」というものは、科学的営為にとって欠かせない指標です。モデルがあるからこそ対象をとらえることができるのであり、モデルがあるからこそ対象の現在の運動と未来の行く末が予測できるわけです。同様に、認知行動療法には、クライエントの状態に応じたモデルが開発されており、ウツの方にはそれに応じたモデルが、恐怖症の方にはそれなりのモデルが、神経症の方にはまたそれなりのモデルが確立されています。
そのことは、認知行動療法が科学的なEBPに基づいていることを考えてみれば分かることで、当然のことなのですが、しかしモデルはあくまでも「モデル」に過ぎません。重要なのはそのモデルが、ある特定のクライエント「Aさん」に対して適応されるとき、そこにその「Aさん」固有のモデルが新たに形成されるのだということです。このことを忘れ、「Aさん」を強引にモデルにあてはめるようなことがあってはなりません。認知行動療法に携わるセラピストは、そのことをよくわきまえ、あくまでも目の前のクライエントに沿った、その人固有の「Aさん型のモデル」を作ろうとするわけです。
同じことが、精神分析や分析心理学にも言えます。すぐれた分析家は、対面しているそのクライエント「Aさん」に応じて、その人固有のエディプスコンプレックスや元型を見出だそうとするでしょう。ひとことに「エディプスコンプレックス」とか「元型」と言っても、無意識下に構成されているその様態は、人さまざまなわけです。
しかし私たちはともするとそのことを忘れ、「うつ病モデル」一般とか、「エディプスコンプレックス」一般とか、「元型」一般があるように考えてしまいがちです。クライエントの語る一言一言に、「ああこれは自動思考だよな」とか、「ああここに母親へのコンプレックスがあるな」とかといった考え方をするのは、クライエントを見立てる際には便利で有効かもしれませんが、その時、「いまここ」にいるクライエントが捨象されてしまっていることを忘れがちです。
大切なのは、「このクライエント固有の自動思考はどのように機能しているのだろう」とか、「このクライエント固有のグレイトマザーはどのようにして現れているのだろう」という観点を見逃さないようにすることでしょう。そのような観点を持つことはちょうど、私たち自身がベックになることであり、ユングになることでもあります。ベックやフロイトやユングがクライエントと接する中で呻吟し、そのクライエント固有のモデルを作ろうとしたように、その「モデルが今まさに形成されようとしている場面」を、毎回毎回のセッションにおいて再現することです。
まあ、要するに、クライエントの話を聞いて、いとも簡単に、「それはあなたの影(シャドー)ですよ」とか、「そういうのをベキ思考と言うんですよ」などと言ってもらいたくないということです。私がクライエントならばそう思うでしょう。私には私の普遍的無意識があり、私には私の思考回路がある--誰でもそう思うのが当然であり、そう思ってしかるべき権利があるのですから。少なくともカウンセラーが、クライエントに対して認知がどうのとか元型がこうのとか宣うときくらいは、「それは誰にとってのモデルなのか」をしっかりわきまえておく必要があるのではないか、私はそう思います。
|