らくらくカウンセリングオフィスは、キャリアカウンセリングを行なう、名古屋に拠点を置くEAPです。
当社専属キャリアカウンセラーの脇田です。
NHKのFM番組で、ゴンチチがやっている「世界の快適音楽セレクション」という番組があって、時々車の中で聞くのを楽しみにしています。ゴンチチの音楽と彼らのキャラクターをご存知の方ならばよく分かる通り、あの飄々とした語り口で、世界の民族音楽や懐かしのポップスや、かと思うと、一癖あるヒップホップやフェイクジャズや「レジデンツ」(!)などが紹介されていくのですが、これが何ともいえず心地よい雰囲気を醸し出しているわけです。
先日この番組で、「イーグルスのホテルカリフォルニアは何故、誰が聞いても泣けるのですか」という視聴者からの質問にゴンチチの二人が答えて、このような曲には共通したコード進行があり、それは業界では「黄金のコード進行」と呼ばれているとの種明かしがなされ、それを使った曲がいくつか紹介されていました。詳しいコードは忘れましたが、なるほど確かにどこかで聞いたことがあるようなコード進行で、マイナー調の曲がヒットする背後にはこのようなコードがよく使われているようです。
誰にでも自分だけの「泣ける曲」があるものです。人によってはそれは「ホテルカリフォルニア」であったり、「愛しのエリー」だったり、「赤城の子守唄」だっりするのでしょう。私の場合、必ず泣ける曲は、ベートーベンの「第9」です。
中学生の音楽の授業で初めて聴き、一宮の本町通りにある小さなレコード店で廉価版を買い求め、ついでにダイヤトーンの真空管プレイヤーを親にせがんで買ってもらって聞いたのが、この「第9」でした。廉価版ですから、オーケストラも指揮者も名もない人で、しかも70分余りのこの曲を2枚組にするのではなく1枚に収めるため、第3楽章の途中で強引に切ってA面からB面に切り替えさせるという、今考えるととんでもない作りのレコードでしたが、当時はこれを何度も、文字通り「擦り切れるまで」聞いたものです。
それから何年もたち、記録メディアの時代がレコードからCDに入れ替わった頃、カラヤンやバーンスタインやアバドの「第9」を買って聞くようになったのですが、なるほど確かに「第9」ならではの独自のコード進行を持つこの曲は「泣ける」曲ではあるのですが、いつも、「何かが違う」感が心を離れず、少なからぬ消化不良を感じていました。ところがある日、特に期待もせずに買った1組の「ベートーベン交響曲全集」に、私はあの中学時代の「第9」感動を呼び起こされることになります。
これは、スクロバチェフスキーという指揮者がザールブリュッケン放送交響楽団を指揮した「第9」で、マニアにしか知られていない超マイナーな演奏です。(もちろん、ごく一部のマニアにとっては「スクロバ」は神様のような存在であるわけですが)。確かにスクロバチェフスキーの演奏は独特の雰囲気を持っており、カラヤンともアバドとも違う「味」を出しています。しかし私が感動したのは、その「味」に心動かされたからではありません。図らずも、スクロバチェフスキーの「第9」は、あの廉価版時代に聞いた「第9」が持っていた残響の薄さと、なげやりなスピード感と、ちょっと調子の外れた和声とを思い出させたのです。
記憶は再構成されます。フロイトが「事後において」と呼んだ事後性が、常に記憶には付きまとい、それが無意識の世界を活性化させます。私にとっては、スクロバチェフスキーの「第9」の何かが、40年前の記憶を、今現在の時点において再構成したわけげです。同時にこの記憶は、当時のいろいろな体験や、中学生ならではの淡くて濃密な幻想を思い出させます。それらが一体となって、原初的な「第9」体験が、呼び起こされたというわけです。
おそらく、「黄金のコード」というものも、このような「記憶の事後における再構成」が関係しているのでしょう。子供の頃にあまりポップスを聞かなかった私には、イーグルスのコード進行は「泣ける」ものではありませんが、おそらくビートルズやさだまさしを聞いて育った世代にとっては、ある種の共通の記憶が、あのコード進行には付随しているのかもしれません。同じように、「愛しのエリー」にも、「ノルウェーの森」にも、「灯篭流し」にも、あるいはもしかしたら「唐獅子牡丹」にも、共通するコード進行とそれに付随する原体験が、確かにあるのでしょう。
認知症で今では老人ホームに入所している私の父は、1~2年ほど前までは、散歩の折などによく「戦友」を口ずさんでいました。「此處は御國を何百里/離れて遠き滿洲の/赤い夕陽に照らされて/友は野末の石の下」。ああ、あの曲も父にとっては「黄金のコード」だったのだなあと、症状が進んで歌を歌うことも忘れてしまった現在の父を見るたびに、私は思い起こします。(ちなみに、父は戦争には行っていません。従って、この曲で再構成されている父の記憶は、歌詞通りの戦争体験ではなく、当時子供だった父が見た、一宮の町を赤く染めた大空襲だったり、焼け跡で友達と遊んだ帰りに見た伊吹山の背後に沈む夕焼けだったりしたのかもしれませんね)
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