らくらくカウンセリングオフィスでは、クライエントのパーソナリティと行動の変容を目指します。
当社役員の脇田です。
カウンセリングについて考えるとき、私は常に2つの立脚点を想定しています。
一つは、「行動心理学」つまり「(認知)行動療法」であり、もう一つは「深層心理学」つまり「精神分析学」です。
第一の「認知行動療法(CBT)」は現代の心理療法のメジャーであり、現在、もっとも広く実践されている理論=技法体系であることは言うまでもありません。古くは20世紀初頭の行動療法に源を発する「CBT」は、豊富なエビデンスによってその効果が立証され、多くの研究書が出版されています。特に1980年代以降はアーロン・ベックの理論にも度重なる推敲が施され、「機能文脈主義」へと統合されていく中で、理論的にもよりエレガントで精緻なものにシェイプアップされ、今や「ACT」のような「第3世代」のCBTも登場してきています。
当然、現代のカウンセリングも、このCBTの影響を強く受けています。「来談者中心療法」や「ゲシュタルト療法」は、どちらかと言うと“時代遅れ”のものになりつつあり、より即効性のある「短期療法」やCBTを取り入れたカウンセリングが増えてきています。近年の「コーチング」ブームは、まさにそのような時代の要請を受けたものと言えるでしょう。
CBTは確かに実践的で効果的な心理療法です。それは「行動の変容」を第一義においているからで、「行動が変われば自ずと認知も変わる。認知が変われば心のつらさも寛解へと向かう」と言う前提があるからです。この前提は臨床的にも確かめられており、うつや神経症に悩む多くの方が、その成果に負うている訳です。
一方、CBTには最初から欠いている前提があります。それは「パーソナリティの変容は目指さない」と言う暗黙の大前提です。しかし、CBTが拒絶してきたこの「パーソナリティの変容」こそ、私がもう一方の極に立脚点を置いている「精神分析学」が目指してきたものです。
精神分析学と言うと、多くの方はフロイトやユングの理論体系を思い浮かべるでしょう。確かに、精神分析はフロイトが創始したもので、今でも心理療法の中心的理論を成しています。また、多くの心理療法は精神分析学から生まれてきたもので、カール・ロジャーズもエリック・バーンも、最初は精神分析を学んでいました。
しかし、精神分析が今現代において、どれくらいカウンセリングの中で生かされているかは予断を許さないところでしょう。なぜなら、精神分析学はCBTに比べてはるかにハードルが高く、学ぶのに障害が多すぎるため、カウンセラーが敬遠しがちだからです。おそらく、多くのカウンセラーが、「フロイト理論はカウンセリングルームには生かせない」と考えているのではないでしょうか。クライエントに対して、「あなたが金銭にこだわるのは性的リビドーが肛門期に固着したままだからですよ」とか、「あなたがその上司を嫌いなのはエディプスコンプレックスですよ」などと言うカウンセラーは、今ではほとんどお目にかかれないでしょう。
さて、であるからこそ、私は精神分析学に、「もう一つの立脚点」を見出したいと考えています。とりあえず、その「立脚点」の根拠地として、クライン=ビオン=メルツァーの対象関係論を据えたいと思います。そうすることにより、つまり「対象関係」を根拠とすることにより、「リビドー」や「エディプスコンプレックス」を持ち出さずにパーソナリティ変容を語る空間が生まれるからです。仮にそのようなカウンセリングを、W.R.ビオンにちなんで「ビオニック・カウンセリング」と呼んでおきましょう。
というわけで、しばらくこの「ビオニック・カウンセリング」について思いついたことを書き加えていきます。ただしもちろん、もう一方の「認知行動療法」を忘れる訳ではありませんし、実践ではむしろ、CBTを前面に据えることになるでしょう。しかし、B.F.スキナーが言うように行動心理学が「皮膚の下の出来事」には関与しえない以上、私たちカウンセラーは、「皮膚の下の出来事」にも同等かあるいはそれ以上の関心を寄せるべきではないかと私には思えるのです。
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