理事長の宮崎勝博です。
昨日9月22日は秋分の日であり、お彼岸の中日でした。
皆様はお墓参りに行かれたでしょうか?
私は、例年お墓参りに行っているのですが、
昨日は、夜中1時から、ずっと、
入院している父の傍にいました。
理由は、肺がんの父が危篤状態となったからです。
ちょうど、21日の朝に呼吸が一時止まり、
なんとか蘇生しましたが、意識がほとんどない状態に
なってきました。
余命半年と告げられ、2年4カ月ほど・・・。
最後のときが近づいてきました。
死について、父について、
葛藤する日々が続いています。
ちょうど、お彼岸の時期ですが、
彼岸とは、仏教説において、
その名の通り「岸の向こう」という意味。
その向こう岸とは「悟りの世界」のことです。
サンスクリットではパーラミター(波羅蜜多)といいます。
様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、
日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は
阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、
と考えられているため、
既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、
まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、
というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。
また「秋分の日」には、
太陽は真東から出て真西(西方極楽浄土の方角)に沈みます。
そして昼と夜の長さが同じになります。
迷いと悟り、
この世とあの世、
現実の世界と理想の世界が
接する日とも言われます。
彼岸入りから、
父が朝方自分がわからなくなると言うようになり、
そのときが怖いと話をしていました。
息子のお前に伝えたいことがあると、
意識がなくなる前日、
二人でいろいろな話をしました。
父からの、男同士だからこその想いを
伝えあい、受け取り、感じる時間でした。
感謝の言葉、
謝罪の言葉、
後悔の言葉、
残していく家族への心配の言葉、
死への恐怖と覚悟の言葉、
息子にすべてを託す父の気持ち、
言葉以外に伝わってくる数多くのことがありました。
「父さん、俺は父さんの子どもに生まれて、よかったよ。」
そう伝えた時、
頑固で感情を表に出さない父の目から
涙が流れました。
父が作ってくれたあの時間は
一生の宝物になりました。
その後、意識不明となり、
主治医と延命処置の是非の話をしました。
父が信頼している主治医と真剣に話し合いました。
死に際のあり方、医師の想い、家族の想い、
父の想い、すべてを話し合いました。
昨日は、
意識不明になって、一緒に看病していた母が、
目のうつろな父の姿に
突然、絶望し、叫び、慟哭し、私に気持ちを
ぶつけてきました。
そして、放心状態になりました。
話を聴き、しばらくして落ち着きを取り戻しました。
母は、少し休ませています。
姉は、確執のまだ消えない父との関係に迷い、苦しみ、
距離感を失っていました。素直になれない、
でも、愛していると伝えたい、伝えてほしい・・・。
その葛藤がわかっていたので、
私は、半ば強引だったかもと思いながら、
意識不明になる前日の夜、
姉に、父が呼んでいると伝え、遅くなっても来るように
お願いをして、姉も、夜駆けつけてくれました。
父との時間をもったと聞いています。
今、私は、自分の心と向き合いながら、
大切な人たちとの関係において、
考え、感じ、行動しています。
今、お彼岸の中、 父の死と向かい合っています。
そんな今を過ごしているからですが、
お節介にも、皆様には、このお彼岸の時期に、
彼岸へ旅立った方々への供養と、
いま、現実という苦に悩む世界にともに生きている
大切な人たちのことを、想う、祈る時間を
もっていただければと思う宮崎です。
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