らくらくカウンセリングオフィスでは、家族を対象とした面接も行なっています。夫婦、親子、きょうだい、義父・義母、など家族をめぐる問題を一歩先に進めるには、専門家の介在が欠かせません。
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今年の正月、我が家では家族が集まってちょっとした会議が開かれました。もっともその会議は、全員が一堂に会してのものではなく、いくつかのグループに分かれての会議であり、しかもテーマはそれぞれ別々でした。しかし家族という組織は運命共同体なので、当然、それぞれの会議はお互いに影響を与えます。Aという会議で話し合われたことがBという会議で検討する際の判断材料となり、それがCという会議にも使われるという具合です。特に、我が家はちょっと複雑な事情があるため、問題は簡単には解決しそうにありません。
このような家族会議の際には、よく次のような言い方でものをいう場面があります。「ねえ、A君。君は、BさんがCさんのことを気遣ってああいうことを言っているのだろうと思っているのかもしれないね。でも僕が思うにCさんはむしろ、A君がBさんの将来のことを考えてこういうことを言っているのだと思っているんじゃないかと思うよ」。つまり、A君とBさんとCさんの3人がそれぞれ他の二人についてどう思っているかが話題になるような、そのような言い方です。話の内容はそれぞれの家庭によって様々でしょうが、このような複数の人が登場する「言い方」をすることは、どこの家族でもあるはずです。
「囚人のジレンマ」という有名なクイズがあります。A、B、Cの3人の囚人がいて、看守が3人に次のようなクイズを出します。「ここに2枚の黒い札と3枚の白い札がある。私がこれからお前たち3人の背中に、この5枚のうちのどれかの札をつけて、ガラスの壁で仕切られた独房に入れる。独房の中では、自分の背中の札は見えないが、他の2人の札は見えるようになっている。自分の札の色が何色か分かったら部屋を出て私のところへ来い。それを私に論理的に説明できたら、その者を釈放してやろう」。この後、看守は3人すべてに白色の札を貼って独房に戻します。さあ、あなたが囚人ならば、自分の札の色をどのように論理的に説明しますか?
この問いの答えは、インターネットなどで調べれば簡単に分かりますので、ここでは省略します。代わりに、この問題について簡単な心理学的アプローチをしてみましょう。
この問いの答えを考えるには2つの大きなポイントがあります。それは論理的なポイントではなく、心理学的なポイントです。まず第一に、「囚人はいずれも他の2人の行動を観察することへと強迫的に迫られる」というポイントです。囚人たちはいずれも、こう考えるでしょう--「左のやつは何色なんだ。あ、白だ。右側のやつも白だ。そうか、だから2人ともすぐに独房をでいていかないんだな。ということは今、あいつらはそれぞれ“自分の札の色は黒なのか、それとも白なのか”ということを考えているんだな」と。この時囚人たちはすでに競走を始めています。論理的に考えれば答えは出るので、誰が一番早くその答えを出すかを巡る競争が始まっているのです。この「競争へと駆り立てられる」という点が、心理学的には重要なポイントです。
次に、自分の色を論理的に考える際に、必ず「Aは、『Bは“Cがこう考えるだろう”ということを考えるだろう』と考えるだろう」という思考を巡らさなければならないというポイントです。この思考は、答えを考えている主体が自分をAと同一化することに成功すれば、括弧が一つはずれるので、考えやすくなりますが、いずれにしてもBのCについての思考を考えなければならないことに違いはありません。このような「入れ子構造の思考」は、ふだん私たちに馴染みがないため、とてもややこしく複雑に思えます。(そのため、思考を断念してイチカバチカの答えに賭けてしまう人も少なくありません。ちなみに、白である確率は1/2でも1/3でもなく、あくまでも3/5ですので、賭けるのならば白にかけたほうが有利ですのでお間違えなく)
最後に、再び最初の「強迫的な行動観察」のポイントに戻ります。3人の囚人の知的程度がほぼ同じであった場合、論理的な答えに達するのは3人ともほぼ同時でしょう。しかしその答えに自信があるわけではないので、再び他の2人の行動を観察します。「俺は白に違いない。他の2人も同じ答えに達するはずだ。なのになぜ出ていかないんだ? どこかで俺は考え違いをしたのか? なぜだ、なぜなんだ?」。このように考える一瞬が生じるでしょう。しかしその直後、3人のうち一人がわずかに動こうとした気配を見せます。その直後、3人は我先にと争って独房を出るでしょう。「たった今あいつが決断した」という観察それ自体が、自分の論理が正しかったことを証明しているからです。2度目の強迫行動がこうして行なわれるわけです。
この「囚人のジレンマ」は、私たちが3者間の問題に立たされた時の行動をうまくモデル化しています。このジレンマは、いわゆる「葛藤」とは違います。葛藤はあくまでも本人の内的事態であり、価値観にかかわる想像的な問題ですが、囚人のジレンマには、他者の行動とその観察が関わってきます。
この3者間のジレンマを、心理学では「3項問題」と言います。最初に述べた我が家の家族会議にも、小さいながらこの3項問題がからんでいます。私たちは囚人ではないので相手の行動を見て走りだしたりはしませんが、「入れ子思考」だけはやらざるを得ません。「君はどう思う? 僕はこう思うよ。」「君はどうしたいんだ? 僕はこうしたいよ」という2項問題だけで家族の問題は片付きません。かならず「AはBがCについて考えることを考える」という3項問題がつきまといます。
精神分析学で言うところの「エディプスコンプレックス」もまた、この3項問題の一つです。父と母と子、場合によってはここに兄弟も加わった3項問題を解くのが、子に課された使命です。しかもエディプス問題の場合は、競争への強迫行動も付きまとうので、問題は深刻です。ここでの問題の解き方によって、その人の「固着」が決定するというのが、精神分析学の理論です。
(ちなみに、対象関係論は2項問題で論理を構成しています。しかしクライエントの持ち込む問題は必ず3項問題なので、対象関係論者も結局はエディプスコンプレックスで問題を解かざるを得なくなります)
家族療法では、このような3項問題が常に発生します。そのようなときは、どこかで括弧をはずして問題を簡略化してやる必要があります。例えば、ゲシュタルト療法で言うところの「エンプティ・チェア」のように、別の人の席にクライエントを座らせて何が見えるかを考えさせたりします。あるいはもっと簡単に、「子供さんは、あなたが子供さんのことをどう考えていると思っているんでしょうねえ。どう思いますか?」という問いを発したりします。あるいは、IP以外の第三者を連れてこさせたりもします。例えばIPの妹に「あなたはお兄ちゃんの引きこもりのことをどう思っているの?」という問いを発するのもまた、括弧を一つ外すのと同じ効果があります。
さて、我が家の問題も、少々複雑な3項問題化しています。どこの括弧をはずすか--それを考えるには時間がかかることも珍しくありません。カウンセラーには、この時間をじっと待つ忍耐力も必要です。答えを得て一斉に走りだすのは、最後の最後にしておきましょう。
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