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らくらくカウンセリングオフィスです。
こんにちは。
当社の役員の脇田です。
以前にこのブログにも書いた「フランシス・ベーコン」の回顧展を見に行ってきました。9月1日まで、豊田にある「豊田市美術館」で開催されている展覧会です。
いや~、とにかく良かったです。今まで私が見た美術展の中でも、最も印象深かった展覧会のひとつです。これに匹敵する感動のあった展覧会といえば、20年ほど前に見た「アウトサイダー・アート展」くらいでしょう。というか、ベーコンの作品自体が、ある意味で「アウトサイダー・アート」なのかも知れません。とにかく、嘘は言いませんので、興味のある人はぜひ、この夏休み中にご覧になることをお勧めします。さもないと、あと数十年は、ベーコン単独の作品展は開催されないでしょうから。
書きたいことは山ほどあるのですが、今日はとりあえず、作品の「意味」ということについて思いついたことを並べておきます。
よく現代絵画について評論家が、「作品を見た人が自分自身で何かを感じ取ることが大切だ」ということを言います。この言葉は、字義どおり受け取れば、「評論家が何と言うかよりも、自分が感じることのほうが大事だ」という意味であり、その点において、評論家が自らの責務を放棄しているかのように受け取られます。(まあ、実際のところその通りなのでしょうが)。
しかしベーコンの作品についてだけ言うと、この評論家の言葉は「責任放棄」ではなく、むしろそのように見た者へ評価をゆだねることの方が正しい判断だとも言えます。なぜならば、ベーコンの人物画を見た人は、誰でも必ず、何らかの「感じること」を体験するに違いないからです。
ベーコンの作品は、そのほとんどが人物画です。描かれている人物はほとんどの場合無名の人ですが、あえてアノニマス(無名性)にしてある場合と、タイトルに人物名が添えてある場合があります。
例えば、この展覧会のパンフレットに描かれている人物は、ホモセクシュアルであったベーコンの愛人のジョージ・ダイアという人で、タイトルにもそう記されています。しかしダイヤという人物を知らない人でも、この3幅の肖像画を見れば、誰でも何らかの「異様な感覚」を覚えます。「なぜこの人の顔はこんなに歪んでいるのだろう、なぜ3枚あるのだろう、なぜこんな色遣いなんだろう」と。そして次にこう考えるでしょう。「でも、この絵は何かしらまとまっていて構成的であり、色遣いも不自然ではあるが不快ではないなあ。何か不思議な絵だなあ」と。
しかし、この絵を見た人が思うのは、それだけではありません。絵をしばらく眺めているうちに、何らかの「感想」が沸き起こってきます。
「この人物は、作者と何らかの関係のあった人なのだろうか。単にモデルを描いたのではなく、よく知っている相手なのかも知れない。だから、変な絵だけど、一生懸命描いてある。もしかしたら作者は、この人物の外観ではなく、内面を描こうとしたのかもしれないなあ」といった思いを抱くでしょう。そして、この思いはもう、単なる「感覚」ではなく、見た人が独自に抱く「感想」であり、いわばその人独自の「評論」のなのです。
さらに、人によってはもっと突っ込んだ感想を抱くことでしょう。それは自分自身の体験に引きよせた感想です。例えば、「この人物は友人のXさんに似ているなあ。あいつもいい奴なんだけど、時々こんな変な顔をすることがあるからなあ。そういえばこの間あいつが言っていたあの言葉は、どういう意味なんだろう」といったような感想です。あなたが女性ならば、この感想はもっと強いものになるでしょう。なぜなら、ジョージ・ダイヤは、その写真を見れば分かる通り、ベーコンが惚れ込むほどの美男子だからです。
ベーコンの人物画を見た人が、このような感想または評論を抱くのは、なぜでしょう。それはもちろん、描かれているのが「ひと」だからです。私たちは人との関係で生きており、私たちにとっての「世界」とは、すべからく、「ひとの関係で生じる世界」だからです。そして、私たちにとって「意味のある事柄」とは、すべからく「ひととの関係のあるこの世界」で生じている事柄だからです。そのことは絵画においても同じです。美術作品における「意味」とはすなわち、「ひととの関係のあるこの世界における意味」なのです。
ベーコンの作品は、このようにして、見る者に「意味」を生じさせます。その「意味」が生じる源泉は、もちろん、見る人自身の内的世界の中にあるものです。その「意味」を探るきっかけを、ベーコンの絵画は与えてくれます。したがって、人間関係に悩んでいる人ほど、ベーコンの絵に触発されて多くの意味を見出すことになるでしょう。そのような体験をさせてくれる絵画は、めったにあるものではありません。それこそが、皆さんにこの展覧会をお勧めするゆえんです。
では私は、この展覧会で、どのような「意味」を探ったのでしょう。それはまた別の機会に...
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